大阪地方裁判所 昭和59年(ヨ)2028号 決定
申請人
古塚一雄
申請人
中野民男
申請人
原田勝
申請人
塩原一夫
右申請人ら訴訟代理人弁護士
西川雅偉
同
高野嘉雄
同
後藤貞人
同
北本修二
同
里見和男
同
下村忠利
同
三上陸
同
中道武美
同
菊池逸雄
同
近森土男
被申請人
北大阪菱光コンクリート工業株式会社
右代表者代表取締役
福盛佐一郎
右訴訟代理人弁護士
田邉満
主文
申請人らの本件各申請をいずれも却下する。
申請費用は申請人らの負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請の趣旨
(昭和五九年(ヨ)第二〇二八号事件)
1 被申請人は申請人らに対し別紙(略)金員一覧表1記載の各金員及び昭和五九年五月二五日以降本案判決確定に至るまで毎月二五日限り一か月につき同一覧表2記載の各金員を仮に支払え。
2 被申請人が申請人中野民男及び申請人原田勝に対し昭和五九年三月一九日付で、申請人古塚一雄及び申請人塩原一夫に対し同月二一日付でなした「懲戒処分決定までの間就業を禁止する」旨の各意思表示の効力は仮に停止する。
(昭和五九年(ヨ)第二九五八号)
1 申請人らが被申請人の従業員たる地位にあることを仮に定める。
2 被申請人は申請人らに対し昭和五九年六月二一日から本案判決確定に至るまで前月二一日から当月二〇日までを一か月として一か月につき同一覧表2記載の各金員を毎月二五日限り仮に支払え。
二 申請の趣旨に対する答弁
主文一、二項と同旨
第二当裁判所の判断
一 当事者間に争いのない事実及び本件疎明資料によって疎明される事実は次のとおりである。
1 被申請人が肩書地に本社事務所をおき、箕面市外員一丁目一番四号と兵庫県川辺郡猪名川町広根神子辻七丁目一番地に生コンクリート製造プラント工場を持ち(以下箕面工場、猪名川工場という)、生コンクリート製造販売を目的とする株式会社である。昭和五八年一二月当時の被申請人の人員は役員六名の外従業員六六名を擁し、箕面工場は取締役工場長千田晶(本社労働部長兼任)以下管理職六名、輸送係三名、製造係六名、生コンクリートミキサー車運転手二九名計四四名、猪名川工場は取締役工場長三木幸一以下管理職三名、輸送係五名、生コンクリートミキサー車運転手一三名計二三名が配置されていた。申請人塩原一夫は昭和四四年二月二四日、申請人古塚一雄は同年七月二一日、申請人中野民男は昭和四六年八月二五日、申請人原田勝は昭和四八年一月二一日に被申請人に入社し、いずれもコンクリートミキサー車の運転手として勤務してきた。
2 被申請人は申請人中野民男及び申請人原田勝に対し昭和五九年三月一九日付文書を交付し、申請人古塚一雄及び申請人塩原一夫に対し同月二一日付文書を交付し、いずれも懲戒処分決定までの間就業を禁止する旨通告し、以後各申請人にその賃金の六割を支給し、後記懲戒解雇処分するまで申請人らの就業を拒否した。その後、被申請人は同年六月一八日申請人らに対し同日付文書を交付し、同月二〇日をもって懲戒解雇処分にすることを通告し、以後申請人らの就業を拒否している。
二 被申請人主張の前記就業禁止通告及び懲戒解雇処分事由
1 申請人原田勝
(一) 同申請人は昭和五八年一二月八日午後二時二〇分頃、箕面工場バッチャープラントの生コンクリート積載口下に同申請人が担当乗車しているコンクリートミキサー車一六二号車を移動して停止し、同車運転席に施錠したまま車のキーを持ち去り、以後他のコンクリートミキサー車が生コンクリート積載を行えない状態に置き、箕面工場長千田晶が場内放送を以って再三にわたり右一六二号車の撤去を指示命令したにもかかわらずこれに応ぜず、更に山口工場長代理及び川端工場長代理が同車のキーの返還を要求したが、これを無視し、会社の生コンクリート積載・出荷の操業を不能に陥らせて同日午後三時以降の出荷を断念するに至らしめ、会社の業務を妨害した。
(二) 同申請人は同月九日午前八時三分頃箕面工場バッチャープラントの生コンクリート積載口下に前日同様右一六二号車を移動して停止し、同車運転席に施錠したまま車のキーを持ち去り以後他のコンクリートミキサー車が生コンクリート積載を行えない状態に置き、千田工場長の再三にわたる右一六二号車撤去の指示命令を無視し、更に会社が午前九時二〇分頃からショベルカーをもって右一六二号車をバッチャー下から引出し移動させる作業を開始した際、千田工場長の再三の制止を無視して同申請人はショベルカーの前後に立ち塞がるなどして作業を妨害し、右一六二号車の撤去を断念させ、午前八時三分頃から午後二時一〇分まで約六時間にわたり会社の生コンクリート積載・出荷の操業を不能に陥れ会社の業務を妨害した。
(三) 同申請人は同月一二日午前八時二〇分から九時五五分までの間箕面工場バッチャープラント生コンクリート積載口下に立ち塞がって、出荷順番により生コンクリート積載を行おうとした一三九号車のバッチャープラント積載口下への進入を阻止し、千田工場長の同所から立ち退くようにとの再三の指示命令に従わず、更には立退きを求めた川端・山口両工場長代理の説得を無視して出荷業務を妨害した。
2 申請人中野民雄
(一) 同申請人は同月九日午前九時二〇分頃から四五分までの約二五分間箕面工場において、前記申請人原田勝がバッチャープラント積載口下に出荷業務を妨害する目的で施錠して放置した右一六二号車を川端・山口両工場長代理がショベルカーで引出し移動する作業にかかった際、千田工場長の再三にわたる退去命令に従わないのみか、ショベルカーの運転席横に乗り込み、同車を運転していた川端工場長代理に対し執拗に作業を止めるようわめき立て、千田工場長、川端工場長代理の運転席から下りるようにとの指示命令を無視してその作業を妨害し、会社の出荷業務を妨害した。
(二) 申請人中野は同月一二日午前八時二〇分頃から箕面工場バッチャープラント積載口下に立ち塞がり、同所において生コンクリートの積込みをしようとした一三九号車の進入を阻止し、千田工場長の退去並びに業務妨害をやめるようにとの指示命令並びに川端・山口両工場長代理の指示命令を無視し続けた。更に、会社が午前九時二〇分から一三九号車の進入を妨害している者の排除に入るや、同申請人は再三の指示命令にかかわらず、コンクリートミキサー車右後部車輪フェンダーにしがみつき、あるいは同車後部車輪のダブルタイヤの間に右手を差し入れ、車輪の内側よりホイルを固く握り締めるなどしてコンクリートミキサー車の移動を阻止し、同日午後九時五〇分までの間会社の出荷業務を妨害した。
3 申請人古塚一雄
(一) 同申請人は同月八日午後二時二〇分頃申請人原田勝と共にコンクリート積載を妨害する意図のもとに、箕面工場バッチャープラント積載口下に右一六二号車を移動できないよう施錠のうえ停車させ、「スト決行中」の立看板を右一六二号車の前頭部に立て掛け、千田工場長が再三にわたり右一六二号車の撤去を指示命令したにもかかわらず、立看板の取除き、右一六二号車の撤去に応ぜず会社の出荷業務を妨害した。
(二) 同申請人は同月九日午前九時二〇分頃から四五分までの約二五分間箕面工場において申請人原田勝がバッチャープラント積載口下に出荷業務を妨害する目的で施錠して放置した右一六二号車を川端・山口両工場長代理がショベルカーで引出し移動する作業にかかった際、千田工場長の再三にわたる退去命令に従わないのみか、ショベルカーとコンクリートミキサー車との間に取りつけたワイヤーロープを取り外しこれを運び去って作業を妨害し、更に、右ショベルカーの前後に立ち塞がってその移動を妨害し、千田工場長・川端工場長代理が同車移動の妨害を止めるようにとの指示命令を無視して妨害を継続し、会社の出荷業務を妨害した。
(三) 申請人古塚は同月一二日午前八時二〇分頃から箕面工場バッチャープラント積載口下に立ち塞がり、同所において生コンクリートの積込みをしようとした一三九号車の進入を阻止し、千田工場長の退去並びに業務妨害をやめるようにとの指示命令並びに川端・山口両工場長代理の指示命令を無視し続けた。更に、会社が午前九時二〇分から一三九号車の進入妨害者の排除に入るや、同申請人はコンクリートミキサー車の下に潜り込み、左右のタイヤ間に寝転び同車の移動ができない状態にし、川端・山口両工場長代理がこれを排除した後も作業妨害を続け、会社の出荷業務を妨害した。
4 申請人塩原一夫
同申請人は同月九日午前八時二〇分頃から五〇分頃までの約三〇分間にわたり猪名川工場において出荷妨害する目的をもって同工場バッチャープラント積載口下で生コンクリートを積載し出荷しようとしていたコンクリートミキサー車一八六号車の前面真下に寝転び、高谷工場長代理が場内放送で繰返し業務妨害を即時止めるように指示命令したにかかわらず、これを無視し出荷業務を妨害した。
5 申請人らの前記各行為はいずれも被申請人の就業規則四八条一〇号前段、一五号及び一六号に該当する。
被申請人は就業規則三〇条五項「懲戒に該当する者で出勤を禁ずる必要のある時」及び六項「前各号の外これに準ずる時」に基づき、昭和五九年三月二一日申請人らに弁明の機会を与え言い分を聴取した後、前記のとおり懲戒処分決定に至るまでの間就業を禁止する旨を通告した。
三 申請人らは前記就業禁止通告及び懲戒解雇処分はいずれも無効であると主張するので、以下それらの効力について検討する。
本件疎明資料によれば、前記二の1ないし4において被申請人が主張する申請人らの各懲戒解雇処分事由はすべて疎明され、申請人らの右行為は争議行為として行われたことが明らかである。
1 右争議行為に至る経緯
本件疎明資料によれば、次の事実が疎明される。
被申請人の従業員が加入する労働組合は昭和五七年当時全日本運輸一般労働組合(以下運輸一般という)関西地区生コン支部、全港湾大阪支部、全化同盟生コン労連があり、申請人らを含む約二〇名の従業員は右関西地区生コン支部に加入していた。右関西地区生コン支部は昭和四一年武健一を中心に結成され、二一〇分会、組合員三〇〇〇名を擁し、運輸一般中央本部に団体加盟していた。運輸一般は活動方針をめぐって対立が生じ、運輸一般中央執行委員会は昭和五七年一二月一七日「権力弾圧に対する運輸一般の態度」なる一文を発表し、関西地区生コン支部執行部の路線の誤りを指摘したことから、同支部武執行委員長は右中央本部の批判に反発し、関西地区生コン支部は武執行部を支持する執行部派と中央本部を支持する反執行部派に分かれ、対立するに至った。反執行部派は昭和五八年八月一〇日大阪中之島において「関西地区生コン支部の団結を勝ちとる大学習決起集会」を開催して、「運輸一般の方針を守る関西地区生コン支部の団結強化を図る連絡会」を結成し、運輸一般中央本部は同月二五日武健一に対し中央執行委員を解任し、同日以降六か月間中央執行委員への被選挙権を認めないとの統制処分を行い、更に同年一〇月六日開かれた中央執行委員会において関西地区生コン支部再建委員会を設置し、連絡会役員平岡義幸らを再建委員に委嘱すると共に武執行委員長、関西地区生コン支部役員三二名に対し運輸一般組合員としての権利を一定期間停止する処分を行った。
武執行委員長は同年一〇月一〇日宝塚グランドホテルにおいて「関西地区生コン支部第一九回定期大会」を開催し、同大会において組合名称を「運輸一般関西地区生コン支部労働組合」(以下関生労組という)に変更したうえ、前記中央本部・地本との関係を定めた規約の条文の削除を決め、武執行部批判を行っていた平岡義幸ら八九名を除名した。一方、平岡義幸らは同日茨木市民会館において「運輸一般の綱領、規約、方針を守る」旨の確認書に署名することを参加資格として関西地区生コン支部の組合員六百名以上の出席者による「全員集会」を開催した。この集会で新執行委員長を平岡義幸とする新執行部を選任し、引続き「関西地区生コン支部第一九回定期大会」を開催し、運動方針の採択、ストライキ権の確立等が行われた(以下反執行部派を関生支部という)。
以上の事実によれば、運輸一般中央本部が発表した活動方針をめぐって従前の運輸一般関生支部は右活動方針に反対する執行部派とこれを支持する反執行部派に分れ、対立抗争してきたところ、前記一〇月一〇日の二つの大会が開かれ、それぞれ前記のような諸決議が行われたことから反執行部を支持する組合員は執行部派と袂を分ち、関生労組に所属しないことを宣明し(関生労組が従来の関西地区生コン支部を承継したとすれば事実上脱退したものというべきである)、関生労組とは別個に公然と労働組合が存立することを表明したものである。従って従来の関西地区生コン支部は、関生労組と関生支部に事実上分裂したものというべきであり、本件疎明資料として提出されている執行部派と反執行部派の機関紙によれば、両派ともそのように認識していたことが疎明される。
本件疎明資料によれば次の事実が疎明される。
昭和五八年九月九日関西地区生コン支部会議室において集団交渉が行われた際、武執行委員長から「現在連絡会なるものに所属するメンバーは分裂、分派の集団であるが、現状は我々の組合員である。従って、現行の協定、協約は我執行部の了解なしに分裂、分派の者の活動に一切適用しないことを確約せよ。」との申入れがなされ、生コン会社はこれを了承し、「運用上充分留意する。」旨返答した。
従前の関西地区生コン支部が前記のとおり事実上分裂した同年一〇月一〇日以後において、関生労組はユニオンショップ協定を結んでいる生コン会社に対し、除名等により資格を失った関生支部の組合員につき右協定を適用するよう迫って解雇することを余儀なくさせ、これらの解雇の効力をめぐって多数の地位保全等の仮処分事件が提起された。更に、関生労組の武執行委員長は生コン会社との集団交渉において、「連絡会派が催した前記一〇月一〇日の大会は大会成立の要件を満していないから、協定、協約の継承権は我々にあり、連絡会派が呼びかける企業側との懇談会には参加しないこと、彼らが発行する印刷物は直ちに突き返すこと」等の申入れをし、生コン会社はこの申入れについて統一的取扱いはしないこととし、各生コン会社の個別の処置にゆだねることとした。一方、反執行部の関生支部も自己に正当な協定、協約継承権があると主張し、生コン会社に対し団体交渉の申入れをし、労使懇談会を開いたところ、関生労組は右労使懇談会に出席した生コン会社に対しストライキを実施して生コンの出荷を妨害した。このような状況に対し関生支部は生コン会社に対し次のような要望をした。
一 ニセ関生支部労組(武一派)の不当な要求を拒否し、不当解雇を撤回せよ。
一 組合事務所の使用妨害の排除と組合活動の自由を保障せよ。
一 職場内における一切の暴力行為と暴力分子を排除せよ。
一 協定並びに労使慣行を厳守せよ。
一 集団交渉に参加すること。
昭和五八年一二月二日関生労組書記長脇屋敷清は被申請人の常務取締役是枝清に対して、関生支部副委員長福田定雄(猪名川工場従業員)につき組合用務賃金扱いをしているのは不当であること、更に、関生支部と被申請人の千田労働部長が取り交わしている昭和五八年一〇月二四日付確認書をとらえて、被申請人は関生支部を認知しているものであり、許せない重大問題であると抗議し、更に、福田定雄が右確認書を他社に持ち歩いていることについて会社に対し対処を迫ったこと、これに対して、被申請人側は従来の関西地区生コン支部は昭和五八年一〇月一〇日二つの組合に分裂したとの認識に立ち、福田定雄の組合用務賃金取扱いは他労組との関係もあり差別扱いはできないこと、関生支部が憲法上、労組法上も容認された労働組合として正当な組合活動をしている以上、関生労組と同様に団結権を尊重せざるを得ず、前記千田文書も撤回できないと返答し、関生労組に対しては数日時間を貸してもらいたいと述べたが、関生労組は、〈1〉被申請人が中央派に対し便宜供与を与えたことは実態確認の不足からでもあり謝罪する、〈2〉中央派が社会的に認知されるまでの間一切の接触は行わない、〈3〉関生労組に迷惑をかけた実損につき応分の配慮する、〈4〉福田定雄に関しては被申請人の名誉を傷つけたので処置を行うべしと主張し、双方は右問題について交渉したが互いに自己の立場を譲らず、妥協点を見い出す余地は全くなかった。関生労組は自己の主張を通すためにストライキを辞さないことを表明したが、被申請人も対決せざるを得ないとの決意をした。関生労組は同月八日午後二時過頃両工場においてそれぞれ千田工場長及び三木工場長にスト通告書を手渡した。右通告書には、「貴社は、自からの代表も参加し発言した一九八三年九月九日の交渉をはじめとする数回の集団交渉で確認された協定遵守を反古にしている。更には、分会要求に対しても継続審議事項(骨材置場の改善及び修理・風呂場の改善・人員補充・猪名川工場出入口の改善等)として何ら誠意ある解決を図ろうとせず、数年来放置したままである。このような貴社の姿勢に対し正常な労使関係の確立を望む立場から、再三再四にわたり改善の申入れを行なってきたが、貴社は我々の申入れに対し誠意ある対応をするどころか挑発的、挑戦的な姿勢をむき出しにしている。
従って、我々は貴社の不誠意な態度に対しその姿勢が改まるまで一九八三年十二月八日十四時より抗議のストライキに入ることを通告する。同時にこの責任は全て貴社にあることを申し添える。」旨記載されている。
2 前記争議行為の目的・正当性等
前記争議行為に至る経緯において明らかなように、従前の運輸一般関生支部が事実上分裂した後、関生労組と関生支部はそれぞれ自己が正当な協定、協約継承権があると主張し、生コン会社側に対し団体交渉することを求めていたが、関生労組は関生支部の存在を否認し、彼らの開催した大会は支部規約を無視した幻のものに過ぎず、彼らを分派集団ときめつけて、生コン会社に対してユニオンショップ協定による解雇の強要、彼らに対する一切の接触拒否を主張し、これに従わない生コン会社に対しストライキ等を実施して生コンの出荷妨害をしていた折柄、被申請人が認めた福田定雄の組合要務取扱いと千田文書の存在を取り上げて関生支部を認知したものと攻撃し、関生支部との接触を一切しないことを強要し、これに従わない被申請人に対し争議行為をもって自己の主張を貫徹しようとしたもので、積極的に関生支部の組織破壊を目指す攻撃的な意図を有するものであり、右争議行為がその態様について検討するまでもなく違法であることは明らかである。関生労組は対立する当事者でない被申請人に対し自己の違法な目的を遂行させるため争議行為という名の下に出荷妨害という実力行使に出たものであり、その違法性は極めて高いというべきである。
申請人らは前記千田文書の内容が極めて不当であり、関生労組に対する不当労働行為である旨主張する。前記争議行為に入る一つの原因として千田文書の内容の当否が係わっていたことを疎明すべき適切な資料はないが、この点について検討する。
本件疎明資料によれば、千田文書の内容がほぼ次のとおりであること
一 社内における暴力行為について
(1) 会社が全責任をもって対処する。
(2) 暴力行為、器物破損、窃盗等の行為があれば告訴する。
(3) 暴力分子を職場から排除する。
(4) 暴力行為が発生した場合は的確、機敏な処置を取る。
一 北大阪箕面分会、猪名川分会組合事務所について全日本運輸一般労働組合関西地区生コン支部箕面分会並びに猪名川分会に貸与したことを確認する(昭和四九年五月三一日付確認書)。
一 出荷妨害が起因した場合、平和的解決に努力し、やむを得ないと判断した場合は法的措置を取る。
一 一九八三年一〇月二七日の集団交渉は参加する方向で検討する。
一 朝日分会の日々就労については協定を尊重する。
右文書のうち、組合事務所の使用について右千田文書を取り交した当時被申請人は関生労組の使用を排除して関生支部に使用させるという意図はなく、組合事務所は従前どおり関生労組が使用していたこと、朝日分会の就労についても関生労組に所属する運転手を排除して関生支部に所属する運転手のみを日々雇用する目的はなく、むしろ関生労組の指摘があれば関生支部に所属する運転手の雇用を控えていたことがそれぞれ疎明される。その他関生労組に不利となるような内容は存しないことが明らかである。申請人らは「暴力分子を職場から排除する。」などの内容をもって関生労組の排除を意図したものであるというけれども、具体的な暴力行為が発生した場合のことを合意しているに過ぎず、しかもこのことから理由もなく関生労組が職場から排除されることができないことは論ずるまでもなく、この合意事項が不当性を帯びるものということもできない。関生労組が前記のとおり関生支部の団結権を否認し、生コン会社に関生支部との一切の接触を禁じ、その所属組合員の排除を強要していることを考えると、関生労組は自己を顧みることなく他を非難するものといわなければならない。もし、関生労組において関生支部の存在を認めて分裂した二つの労働組合について従来の協定をどうするか、朝日分会の雇用、組合事務所の使用についてどうすべきかについて被申請人と交渉を行っていたとすれば、もう少し柔軟な話合い、解決の余地も期待できたものであり、出荷妨害という実力行使に発展しなかったであろうことが伺われる。それゆえ、千田文書の内容が不当であることを理由に出荷妨害行為を正当づけることは到底できない。
スト通告書に継続審議事項が記載されていることは前記のとおりであるけれども、前記争議行為に至る経緯からも明らかなように、争議行為に入る直前にはこれらの事項が団体交渉の議題にはのぼっておらず、突如としてスト通告書に記載されたこと、争議行為の目的は対立する関生支部の取扱いに関するものであり、継続審議事由は全く付け足りに過ぎず、これのみでは争議行為に入らなかったことが明らかであるから、形式的に継続審議事項がスト通告書に記載されたからといって前記争議行為の目的が正当化されるものではない。
本件疎明資料によれば、箕面工場においては昭和五八年一二月八日午後二時二〇分頃からストライキに入ったが、それはバッチャー下にコンクリートミキサー車を置く、いわゆる「バッチャー下の指名ストライキ」という形態をとったが、同日は右日時以降は出荷できず、同月九日はバッチャー下の指名ストライキあるいは団体交渉のために出荷できなかったこと、同月一〇日はバッチャー下指名ストライキに入ったところ、箕面工場長の退去命令により速やかにストを解いたが、被申請人の方で会社構内あるいは正門入口に鎖やロープを張りめぐらすなどの措置を取ったり、大口の連続打設用生コンは割当を辞退したこともあって生コンの出荷はわずかなものであったこと、同月一二日は関生労組の支援者によるピケを張り、ミキサー車のタイヤやフェンダーにしがみついたりして出荷妨害が行われたが、午前九時五〇分頃ピケは解除されたこと、一方、関生労組は箕面工場が加入している北大阪阪神地区生コンクリート協同組合に同工場への割当をしないように要請したこともあり、同協同組合もストライキに入っていることを考慮して割当をせず、そのため同月二二日まで生コンの出荷ができなかったこと、ストライキは同月二五日に至り解除されたこと、猪名川工場では同月八日午後二時二〇分頃スト通告書を渡されたために出荷を断念したこと、同月九日午前八時二五分頃から二〇分ないし二五分間コンクリートミキサー車の前に寝転んだりして出荷妨害したことは申請人塩原一夫の懲戒解雇事由のとおりであり、その後関生労組の支援者約六〇名が猪名川工場に押しかけ、出荷妨害がはじまり、その後関生労組の支援者が福田定雄に暴行する事件が発生し、同日午前一一時頃以降は出荷できなかったこと、同月一〇日は早朝から兵庫県警の機動隊が入ったために妨害行為は行われず、正常出荷できたこと、がそれぞれ疎明される。
申請人らは関生労組の箕面分会、猪名川分会に所属するものであり、前記ストライキは被申請人が関生支部を労働組合として認知したことからこれを撤回させるべく出荷妨害という実力行使に至ったもので、箕面分会、猪名川分会に直接関係する問題であり、関生労組の執行部の指示に従ったものではなく、積極的に出荷妨害を行ったものであること、申請人塩原一夫は関生労組の執行委員をしており、前記ストライキに入る直前の被申請人役員との交渉に佐々野副委員長と共に参加しており、申請人らはいずれも関生労組の執行部と共に前記のような出荷妨害を意図して実行したものであるから、申請人らはストライキの名のもとになした出荷妨害について共同して責任を負う立場にあるものというべきである。
3 被申請人の申請人らに対する前記就業禁止通告及び懲戒解雇処分の効力
本件疎明資料によれば、従前のことは詳細不明であるが、被申請人は昭和四二年五月に就業規則を制定し労働組合の意見を徴して淀川労働基準監督署に届出、右就業規則は同年六月一日から施行されたこと、その後何回か改正されたが、昭和五一年に時間外労働に関する規定を整備するべく就業規則を改正し、労働組合協議会において意見を求めたところ口頭で同意は得たが、文書による意見書が提出されなかったため労働基準監督署に届出されなかったこと、右就業規則は各組合に二、三部ずつ渡し、各工場にも備えつけるために二、三部ずつ渡して周知させ、あるいは周知しうる状態におき、昭和五二年六月一日から施行されてきたことが疎明され、右事実によれば昭和五八年一二月当時被申請人には有効な就業規則が存するものというべきである。右就業規則には、
(就業禁止)
第三十条 次の場合には就業を禁止し又は退勤させることがある。
五 懲戒に該当する者で出勤を禁ずる必要のある時(一ないし四、六は省略)就業禁止により勤務を欠いた時の取扱は欠勤とし、この場合の給与は支給しない。
(懲戒の目的及び種類)
第四十六条 会社は社内秩序の維持を図るため次の項に定めることによって従業員を譴責、減給、出勤停止又は懲戒解雇に処する。
(懲戒解雇の処分)
第四十八条
十 正当な理由なく業務に関する上長の指示に反抗し職場の秩序を乱した者又は他人に暴行傷害を加えたり不法に脅迫した者
十五 故意に事業の運営を阻害し又は会社秩序の維持に相当の支障ありと認められる行為があった者
十六 その他前各号の一に準ずる程度の不都合の行為のあった者
と定められていることが明らかである。
申請人らが参加して行われたストライキの名のもとに行われた出荷妨害行為は猪名川工場においては二日間足らずで終ったけれども(兵庫県警の機動隊が出動しなかった場合出荷妨害がどの程度続いたかは不明である)、箕面工場においては出荷妨害が一〇日以上も続いており、申請人らがこれら一連の行為について共同責任を負うべきであることは前記のとおりであり、被申請人が申請人塩原を除くその余の申請人が逮捕、勾留され、これらの者を直ちに職場復帰させることも相当ではなく、さらに、申請人らの最終的処分をきめるのに相当の検討期間を要するとして就業規則三〇条により申請人らを就業禁止にしたことは相当な措置であり、被申請人が前記解雇事由とした行為が就業規則四八条一〇号、一五号に該当することも明らかである。
申請人らは懲戒解雇は二重処分と主張する。本件疎明資料によれば、申請人らの就業禁止期間が約三か月間となったのは、前記出荷妨害行為がストライキという争議行為の下に行われており、最終処分を決定するに慎重を要したこと、被申請人は申請人らを懲戒解雇処分に付するのに関生労組と昭和五八年四月九日、同月二〇日、同年六月一八日と三回協議の機会を持ったが懲戒解雇処分については実質的な協議を行うことができなかったこと、就業禁止期間中春闘の期間を迎え懲戒解雇処分に付した場合に関生労組から解雇撤回要求が出される可能性があることから、懲戒処分を春闘時期からはずす必要があったこと、前記出荷妨害はストライキという争議行為の下に行われておりこれを懲戒するには労働運動の弾圧と誤解される余地があるので、被申請人に存する他の労働組合の理解を求める必要があったことなどの事情によるものであることが疎明され、右事情により就業禁止の期間が長くなったことはやむを得なかったというべきであり、就業禁止が懲戒の意図でなされたものという疎明もないのであるから、禁止期間中賃金の六割が支給されていることを考えると、就業禁止が懲戒処分であるとは言えず、従って、懲戒解雇が二重処分として無効ということはいえない。
申請人らは、関生労組と被申請人の間には昭和四九年五月に成立した協定書が存し、その協議約款条項は「従業員の身分、賃金を始め其の他労働者の労働条件の変更については事前に組合と協議する。」と定められていること、昭和五四年五月に成立した協定書にも、「会社は移動、転勤、配置換、出向、降格、一時帰休、休業、解雇など現行の労働条件を変更するときは、組合と誠意をもって交渉し一致点を見つけるよう努力する。」旨定められ、現在においても右条項が効力を有すると主張する。被申請人が申請人らを懲戒解雇するにあたり、関生労組と三回にわたり協議の機会を持ったことは前記のとおりであり、本件疎明資料によれば、右協議においては懲戒解雇の前提問題について議論が交わされ、関生労組は懲戒解雇について全く受け合わず、協議をする態度を示していなかったことが疎明され、右事実によれば、右組合は協議を拒否していたものというべきであるから、懲戒解雇につき事前協議を尽していないと主張することは許されず、その余の点について検討するまでもなく、申請人らの主張は失当である。又、就業禁止の措置は懲戒処分ではなく、懲戒処分をきめるためにとられる措置であり、本件のように懲戒解雇について協議がなされるときは、それに関連するものとして協議の機会が与えられるものであり(申請人らはそのような機会が与えられているのに就業禁止について積極的に協議しようという意思もなかったことは本件疎明資料から明らかである)、そのような事情から就業禁止について事前協議の対象とする意義は他の労働条件と比べて薄く、又、文言のうえからも就業禁止措置が直ちに労働条件の変更に該当するものとはいえず、これを含ませるためには明瞭に協議の対象として合意し規定すべきであるから、右のような規定から就業禁止が事前協議の対象になるということはいえない。
申請人らは、出荷妨害に参加した藺牟田茂紀と比べて申請人らに対する懲戒解雇処分は極めて重く、不均衡であり、組合のスト指令に基づいた行動であること、出荷妨害による被申請人の実損もほぼ回復していることなどを理由に、申請人らに対する懲戒解雇は懲戒権を濫用したものであると主張する。
しかし、申請人らが参加してストライキの名の下に行われた出荷妨害は関生労組の利益を図るために対立する労働組合の存在を否定することを実力によって被申請人に強要したものであり、憲法、労働組合法の精神を否定し、力で相手を屈服させようとしたものであり、このような手段が許されないことは申請人らも容易に理解しうるところである。藺牟田茂紀との処分の差をいうけれども、本件疎明資料によれば、同人が出荷妨害に関った行為も申請人らと異なり、その後自己の行為の非を認めていたこと(その後再び同人の気持が変ったことは別問題である)、一方、申請人らは前記のように一貫して自己の立場の正当性を主張していたものであるから、その間に大きな不均衡が生じるのも理由があるところであり、その他実損が回復したか否かについて考慮するまでもなく(これは申請人らが努力した結果でなく、生コン会社が防衛上行っているものである)、懲戒解雇に付したことは懲戒権の行使として相当であったというべきである。
不当労働行為を疎明するに足りる適切な資料はない。
4 以上のとおり、被申請人が申請人らに対してなした前記就業禁止通告及び懲戒解雇処分はいずれも有効である。
5 それゆえ、申請人らの主張する被保全権利について疎明がないものというべく、疎明に代えて保証を立てさせて本件各申請を認容することも相当でないから、本件各申請をいずれも失当として却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九三条に従い主文のとおり決定する。
(裁判官 安齊隆)